ロッジわがや

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カテゴリー「東日本大震災ボランティア」の103件の記事

2016年3月11日 (金)

あれから5年

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今日は3月11日。東日本大震災があった2011年から5年。10日ほど経って、石巻に行った。
テレビを観ていて、「こんな大きな災害なら、自分の小さい力も少しは役に立てるのではないだろうか」と思ったからだ。
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避難所となっている小学校を訪ねて。
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物資提供。ここの地区の人たちとは、今も少しだけ交流がある。
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4月に再訪。富山の鱒の寿司を提供してもらったので、200箱配った。笑顔が嬉しい。
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石巻に行っている間は、真剣に動き回った。
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みんな、普通の暮らしをしているのだろうか。復興の遅れをどう感じているのだろうか。
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5月。自衛隊の活動ぶりには感動と感謝の連続だった。
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東京オリンピックは復興の妨げになっていないか、原発再稼働は間違いではないのか、そんなことを考えずにはいられない。

2014年3月22日 (土)

石巻を訪ねた4日間・最終日

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最終日の20日(木)、一晩泊めてもらった「OPEN JAPAN」の前で。吉村さんには、今回のボランティアのセッティングをしてもらいました。ありがとうございました。
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16歳と18歳の若者たちにとって得難い体験となった、と信じている。多くを語らずとも、心に染み入るものがあったはずだ。
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9時出航の網地島ラインで、「猫島」として有名な田代島へ。猫神社を参拝。
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雨のせいか、あまりネコを見かけなかった。
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私は「ネコ派」ではなく「チョビ派」なので、あまり興味なし。
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船の便の都合で5時間ほど滞在して、15時頃石巻に戻り、帰路へ。富山に戻ったのは、深夜1時だった。
今回は、私にとっては気になっている地域や人たちを再訪する旅だった。息子や友人、娘には、どうだったろうか。ただの旅行とは違う、中身の濃い旅であったことは確かだろう。
またいつか、行きたいと思います。

石巻を訪ねた4日間・3日目

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19日(水)も、朝6時半に佐々木さん宅を出発。我々はボランティアなので遅いが、アルバイトは5時半頃家を出ている。作業所で朝食後、メカブとワカメを収穫してきた船が7時20分頃に到着するのを待ち、メカブ削ぎ開始。
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地元のおばちゃん。避難所に住んでいた時、慰問の人たちが「ふるさと」とか歌ってくれて、その時泣けて泣けて・・と言っておられた。今でも、失われた集落を見た時のことを思い出すと辛い、とも。Dsc_2782
お別れを前に、記念撮影。いい出会い、ありがとうございました。
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我々4名は、昼食のあと小渕浜を離れ、鮎川の静優館横のお風呂で入浴。その後、大原浜に立ち寄った。この集会所は、2011年5月に富山国際大の学生たちとボランティアに来た時、寝泊まりした所。
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そして石巻市街地に戻り、「OPEN JAPAN」のベースで休息後、炊き出しや支援物資の配布を通して親しくなった家を訪ねた。復興が進まない話、立ち退きや都市計画のこと、震災当時、家族が揃うまで4日間かかったことなど、色々と話した。若い3人は、こういう地元の人との会話から、多くを吸収してくれたことと思う。
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夜は、牛タン屋さんで豪華に。その後、吉村誠司さんと合流。魚の美味しいお店で、たくさん話した。息子は、かなり影響を受けたようだった。そして「OPEN JAPAN」のベースに戻り、就寝した。

2014年3月21日 (金)

石巻を訪ねた4日間・2日目

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2日目は、小渕浜でメカブ漁の手伝い。
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水揚げされたメカブを、茎から削ぐ作業。
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アルバイトに交じって、我々も真剣に仕事をした。
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初めて見る、新鮮なメカブ。
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重労働だが、山積みされたメカブが減っていく、結果の見える作業なので楽しかった。
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午後は、塩蔵ワカメの処理。茎と葉っぱの部分に分けていく。これは難しく終わりの見えない、根気のいる作業だった。
夕方、作業を終え、佐々木さんご夫婦や他のアルバイトとの夕食。子供たちも自然と彼らと打ち解けていて、そんな光景を眺めながら、早めに就寝した。

石巻を訪ねた4日間・1日目

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3月17日(月)から4日間、石巻を旅した。一日目、富山を8時に出発、北陸・磐越・東北と高速を乗り継ぎ、三陸自動車道の石巻ICを降りたのは15時過ぎだった。
今回一緒に行ったのは、もうすぐ京都の大学に進学する息子、その友人で同じく地元の大学に進むH君、今度高等専門学校の2年生になる娘の3人。
まず南境地区に行き、かつてボランティアで寝泊まりしていた公民館と、石巻専修大学を見学して、日和山公園へ。ここから、津波で変わってしまった海沿いを眺めた。
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次に、以前炊き出しや支援物資の配布をして親しくなった人を訪ねた。息子は、中3だった3年前に、一緒にこの地区でも活動した。
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津波で多くを失われた地区。女子高校生だろうか、グラウンドでソフトボールをしていた。3年前の同じ場所
そして、二晩お世話になる牡鹿半島の小渕浜集落に向かった。夕食を食べてから行くと行っていたが、牡鹿半島に夜開いている食堂はなかった。コンビニで食糧を買ってから漁師の佐々木さん宅に電話をしたが、結局そこの夕食を頂いた。

2014年3月11日 (火)

あれから3年・・・

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2011年3月11日午後2時46分。私は確定申告の作業をしながら「ミヤネ屋」を観ていた。中継の東京のスタジオが揺れ、数分後に「わがや」も揺れた。
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すごいことになった。これほどの大惨事、私の小さな力も役に立つかもしれない、と思い、3月・4月・5月・11月と石巻に向かい、ボランティアをしてきた。
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悲惨な状況の中でも、たくさんの笑顔に会うことが出来た。
今はどうなっているんだろう、そんな思いを常に持っているものの、なかなか確かめることが出来ずにいる。
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テレビや新聞の報道は、しきりに「復興は進んでいない」と言っている。もしかして、それが事実なのかもしれない。年に一回ほど、石巻の人と電話で話しているが、「何もあの頃と変わっちゃいないよ」と言っておられる。
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政治とか行政とか、歯がゆいものだ。それはそれとして、自分に出来ることは何か、もう一度考えてみたい。

2011年11月13日 (日)

防寒衣料

Simg_94673月・4月には、全国からの支援物資が、倉庫に集積されて溢れ返っていた。ただ、それを隅々に届ける人が不足していた。だから、しんごが3月に石巻に来る時に防寒衣料を持参するのを、止めさせた。現地には配るべき衣料が溢れていて、しんごのは有効活用されないと思ったからだ。
それを今回持って行ったら、大変喜ばれた。段ボール15箱ほどだが、ほぼ全て、捌けた。春には、やはり欲しい人の全てに行き届いたわけではなかったようだ。今持って行けば、喜んでくれる人も多いはずだ。

今も話したがっている

Sdsc03209これは春にも感じたことだが、被災地の人たちは、地震、或いはその後という壮絶な体験を、よそ者である我々ボランティアに話したがっている。3月には、i-phoneで撮った津波第二波の映像を、若者が見せてくれた。4月、5月には、あの頃は本当に大変だったと、地震直後の行動や飲まず食わずの生活を、よく聞かせてくれたものだ。
今回はどうだろう、と思っていたが、未だ凄まじい体験は色あせることなく、我々に色々と話してくれる人が多かった。「聞く」という活動も、必要であり、尚且つ我々の心に沁みるものだ。

仮設住宅

Simg_9463仮設住宅を幾つか回った。落ち着いた暮らしをしているように見えるが、宮城県の居住環境は、岩手や福島に比べて遅れているらしい。断熱材の使用や二重窓の設置が後回しにされ、まだ補完工事は始まったばかりとか。
下の写真は、千戸以上へのチラシ配布を終えて、ボランティア仲間と。
そうそう、仮設住宅の横に作られたコンビニや八百屋、ラーメン屋は大繁盛であった。Sdsc03233

色んなボランティア活動

Simg_9455今回のボランティアでは、作業ズボンや長靴を履くことはなかった。それは私の石巻市街での活動であり、他の地域や団体がどうかは知らない。
今回は(社)日本カーシェアリング協会の活動を手伝ったが、その中で幾つかの活動を見かけた。上の写真は、仮設住宅の集会所での一コマ。地域の人たちと、フラダンスを踊りながら歌を楽しんでいた。こういう時に、無芸の自分を悔しく思うものだ。また、幹線道路の中央分離帯に菜の花畑を作るべく、土を耕しているグループもあった。
実際には見ていないが、汚れたアルバムや写真を復元したりパソコンに取り込む作業もあるし、子供相手に遊ぶ活動もあった。また、重機を使い神社や鳥居を復元させる活動や、古民家を再生して食堂を作ろう、というプロジェクトもある。

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